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重陽の節句は不吉?どんな日か意味と由来を解説

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重陽の節句はどんな日?不吉か

こんにちは。神社と日本の伝統文化、運営者の「月影」です。

9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」。あなたはどんな日かご存知ですか?

テレビなどで耳にすることはあっても、ひな祭りや七夕に比べると、正直なところ「何をする日なの?」とピンとこない方も多いかもしれません。

さらに「重陽の節句」と検索してみると、「不吉」なんていう、ちょっとドキッとするキーワードも一緒に出てきたりして、「え、お祝いの日じゃないの?」と不安に感じてしまうかもしれませんね。

重陽の節句(ちょうようのせっく)は、実は他の節句と同じくらい大切な「五節句」の一つなんです。ただ、現代では少し影が薄くなってしまった印象です。

その背景には、この節句の「由来」が深く関わっています。奇数が重なるこの日は、古くは「陽の気が強すぎる」ために、かえって「不吉」なことが起こりやすい日だと警戒されていたんです。

その「意味」を紐解いていくと、重陽の節句が単なるお祝いの日ではなく、災いを避けるための「厄払い」や「邪気払い」の儀式の日だったことが見えてきます。

また、別名「菊の節句」とも呼ばれ、不老長寿を願って「菊酒」を飲んだり、「栗の節句」として「食べ物」の「栗ご飯」や「秋茄子」を楽しんだり。さらには「後の雛(のちのひな)」、別名「大人のひな祭り」なんていう、とても興味深い「行事」もあったんです。

なぜ今、これほどまでに馴染みが薄くなってしまったのか…そこには「旧暦」から新暦(太陽暦)に変わったことでの、決定的な「季節感のズレ」も関係しています。

この記事では、なぜ重陽の節句が不吉と言われるのか、その本当の理由と、昔の人々がどんな知恵でこの日を大切に過ごしていたのかを、分かりやすく丁寧に紐解いていきたいと思います。

この記事でわかること

  • 重陽の節句が「不吉」と言われる本当の理由
  • 菊や栗、茄子など行事食の意味
  • 「後の雛」と呼ばれるもう一つの側面
  • 現代での簡単な楽しみ方と豆知識

重陽の節句、どんな日でなぜ不吉?

重陽の節句、どんな日でなぜ不吉?
神社と日本の伝統文化・イメージ

まずは、「重陽の節句」という言葉が持つ基本的な意味合いと、多くの人が疑問に思う「不吉」というキーワードとの関連性、その核心部分に迫ってみたいと思います。

この日の成り立ちを深く知ると、現代の私たちが持つ「お祝い」というイメージとは少し違う、「備え」や「清め」の日であったことが、きっとお分かりいただけるかなと思います。

重陽の節句の基本的な意味とは

重陽の節句は、毎年9月9日に定められた、日本の伝統的な「五節句」の一つです。

「五節句(ごせっく)」というのは、江戸幕府が公的な行事日・祝日として定めた、季節の節目(ふしめ)となる大切な5つの日のことですね。

季節の変わり目は、昔から体調を崩しやすかったり、邪気が入りやすいと考えられていたため、こうした日を定めて無病息災を祈る行事が行われてきました。

知っておきたい「五節句」の一覧

  • 1月7日:人日(じんじつ)の節句(七草の節句)
    春の七草を入れたお粥を食べて、一年の無病息災を願います。
  • 3月3日:上巳(じょうし)の節句(桃の節句・雛祭り)
    女の子の健やかな成長を願い、雛人形を飾ります。
  • 5月5日:端午(たんご)の節句(菖蒲の節句)
    男の子の健やかな成長を願い、鎧兜や鯉のぼりを飾ります。
  • 7月7日:七夕(しちせき)の節句(星祭り)
    短冊に願い事を書き、星に祈ります。
  • 9月9日:重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)
    菊を用いて邪気を払い、不老長寿を願います。

(参考:農林水産省「重陽の節句 月見団子」

こうして見ると、他の4つは現代でも非常に身近な行事ですよね。それに比べて、9月9日の重陽の節句は、少し馴染みが薄いかもしれません。

ですが、その歴史は非常に古く、平安時代にはすでに中国から伝わった宮中行事として定着していました。

当時は「菊花の宴(きくかのえん)」と呼ばれる、菊の花を鑑賞しながら詩を詠み、菊酒を飲んで長寿を願う、雅(みやび)な催しが開かれていたんですよ。

陽が重なる「重陽」の由来

陽が重なる「重陽」の由来
神社と日本の伝統文化・イメージ

「重陽」という、少し難しく聞こえる名前。これは、古代中国で生まれた「陰陽思想(いんようしそう)」に深く根差しています。この思想は、森羅万象すべてのものを「陰」と「陽」の二つの気(エネルギー)に分けて考えるものです。

この考え方において、数字も例外ではありませんでした。

  • 奇数(1, 3, 5, 7, 9):活動的・積極的なエネルギーを持つ「陽数」(縁起が良い吉数)
  • 偶数(2, 4, 6, 8, 10):静的・受動的なエネルギーを持つ「陰数」(縁起が悪い数)

9月9日は、この「陽数(奇数)」の中で、最も大きな数である「9」が重なる日です。「9」は陽の気が極まった「極数(きょくすう)」とも呼ばれます。

この「陽が重なる」ことを文字通り「重陽」と呼び、陽のエネルギーが最大になる、非常に重要で縁起の良い日だと位置づけられたのです。

なぜ不吉と呼ばれるのか?

なぜ不吉と呼ばれるのか?
神社と日本の伝統文化・イメージ

ここが、この記事を読んでくださっている方が一番気になっている疑問点だと思います。「陽数(縁起の良い数)」が重なる、最高に縁起の良い日。それなのに、なぜ「不吉」という言葉と結びついてしまうのでしょうか?

それは、東洋思想の根幹にある「バランス」の考え方によるものなんです。

「何事も、過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」ということわざがありますが、まさにそれですね。

陽の気が極端に強まると(=エネルギーが最大に達する)と、陰陽のバランスが大きく崩れると考えたのです。

「月も満ちれば欠ける」ように、エネルギーが頂点に達した瞬間から、それは「陰」に転じやすくなる。つまり、かえって災いや不吉なことが起こりやすい、不安定な日であると信じられていました。

これは、陽数が重なる他の節句(3月3日、5月5日、7月7日)もすべて同じ論理です。

特に9月9日は、最大の陽数「9」が重なる日。だからこそ、五節句の中で最も陽の気が強く、それゆえに最も警戒すべき日(=不吉が起こりやすい日)であると、昔の人々は考えたわけです。

ですから、「重陽の節句 不吉」と検索されてしまうのは、単なる現代人の誤解ではなく、この行事がそもそも成立した根源的な動機(不吉なことが起こるかもしれない、という前提)を、的確に突いているとも言えるんですね。

五節句はすべて厄払いの日だった

この「不吉を避ける」「災いを予防する」という考え方こそが、五節句という文化の本質だと私は思います。

私たちは現代、節句というと「雛祭り」や「こどもの日」のように、家族で楽しむ「お祝いの日(フェスティバル)」というイメージが非常に強いですよね。もちろん、それも大切な側面です。

ですが、その起源をたどると、これらはすべて「陽の気が強すぎてバランスが崩れ、不吉が起こりやすい日」を、無事に乗り越えるための「厄払いの日」だったんです。

そして、その厄払いのために、人々は「旬」の植物が持つ強い生命力や薬効の力を借りました。

五節句と厄払いに用いられた植物

  • 1月7日(人日):七草(春の七草)
    → 七草粥にして体内に取り入れ、邪気を払いました。
  • 3月3日(上巳):桃
    → 桃は古来、魔除けの力があるとされ、桃の葉を入れたお風呂(桃湯)も利用されました。
  • 5月5日(端午):菖蒲(しょうぶ)
    → 強い香りで邪気を払うとされ、菖蒲湯に入ったり、軒先に吊るしたりしました。
  • 7月7日(七夕):笹
    → 笹は神聖な植物とされ、お清めの力があると考えられました。
  • 9月9日(重陽):菊
    → 薬草として、また不老長寿の力があるとされ、菊酒などで取り入れました。

こうして見ると、すべてが旬の植物とセットになっているのが、本当に興味深いですよね。

こうした厄払いやお清めの文化は、神社の参拝作法とも深く繋がっています。例えば、日本の神社の総本山ともいわれる伊勢神宮は、お清めや厄払いを願う人々にとって特別な場所ですね。

五節句の根底にある「清め」の心は、神道における「清浄(せいじょう)」を尊ぶ精神と、深く通じ合っているように感じます。

菊の節句や栗の節句とも呼ばれる

菊の節句や栗の節句とも呼ばれる
神社と日本の伝統文化・イメージ

重陽の節句が持つ多層的な文化は、その「別名」にもよく表れています。

最も有名なのは、やはり「菊の節句」という呼び名です。これは、先ほども触れたように、厄払いの儀式の主役として「菊」が用いられたことに由来します。ただし、ここで一つ注意点があります。

新暦の9月9日では、まだ菊の盛りには早いですよね。これは、当時の暦である旧暦の9月9日(現在の10月中旬から11月頃)が、まさに菊の花が咲き誇る季節であったためです。

もう一つ、特に庶民の間で親しまれたのが「栗の節句」という呼び名です。

旧暦9月9日は、同時に栗の収穫期とも重なります。そのため、江戸時代頃になると、秋の豊かな実りに感謝する「収穫祭」として、栗ご飯などを炊いて家族で楽しむ風習が広まっていきました。

この行事は、とても面白い二面性を持っていると私は思います。

  1. 貴族的な側面:陰陽思想に基づき「不吉」を払う、哲学的・儀礼的な日(=菊の節句)
  2. 庶民的な側面:日本古来の農耕儀礼である「秋の収穫祭」という、実利的な日(=栗の節句)

中国から伝わった貴族的な厄払い儀礼と、日本土着の収穫祭が、「9月9日」という日付の上で美しく融合(シンクレティズム)して成立したのが、重陽の節句の全体像なんですね。

不吉を払う重陽の節句はどんな日?

では、昔の人々は「最も不吉が起こりやすい」と警戒した9月9日を、具体的にどんな風習や行事を行って乗り越えようとしたのでしょうか。

その内容を見ていくと、単なる迷信ではなく、生活に根ざした具体的な知恵や、健康への切実な願いが見えてきて、とても興味深いですよ。

菊の行事:菊酒と着せ綿

菊の行事:菊酒と着せ綿
神社と日本の伝統文化・イメージ

「菊の節句」という名前の通り、この日の儀式の中心的な役割を担うのは、やはり「菊」です。菊は、その気品ある美しい姿から高貴な花とされると同時に、古くは薬効の高い「薬草」としても非常に大切にされていました。

菊酒(菊花酒)

これは、不老長寿や無病息災の願いを込めて、菊の花びらを清酒に浸したり、花を丸ごと浮かべたりして飲む風習です。平安時代の貴族たちも、菊を愛でながらこのお酒を楽しんだとされています。

これは単なる風流な「おまじない」だけではありませんでした。菊には古くから高い殺菌・解毒作用があると信じられていたんです。現代でも、お刺身の盛り合わせに「つま菊」(食用の小菊)が添えられていますよね。あれは彩りだけでなく、生ものの食中毒を防ぐという、先人の知恵の名残でもあるんです。

旧暦の9月は、まだ残暑が残り、菌が繁殖しやすい時期。菊酒を飲むことには、体を内側から整え、病気を予防しようという、具体的な「予防医学」や「食中毒防止」の意図があったんですね。

ご注意ください

ここで触れている菊の伝統的な効能は、あくまでも古くからの言い伝えや食文化に基づくものです。現代の医学的な薬効を保証するものではありません。また、お酒を楽しまれる際は、ご自身の体調に合わせて適量をお守りくださいね。

菊の着せ綿(きせわた)

こちらは「菊酒」とはまた違い、非常に雅(みやび)で優雅な風習です。『枕草子』や『紫式部日記』にも登場するほど、古くから行われていました。

これは、重陽の節句の前夜(9月8日の夜)に、菊の花の上に真綿(まわた)をかぶせて覆い、一晩そのままにしておく、というものです。

そうすると、綿は夜の間に降りた夜露と、菊の芳しい香りをたっぷりと吸い込みます。そして9日の朝、その露と香りを吸い込んだ神聖な綿で肌をぬぐう(拭う)と、菊の薬効や生命力を体に取り入れることができ、若さを保ち、不老長寿を得られると信じられていました。

菊の持つパワーを、「内服(菊酒)」と「外用(着せ綿)」の両方から身体に取り込もうとする、当時の人々の呪術的かつ医学的な実践だったことがうかがえます。

後の雛(大人のひな祭り)とは

後の雛(大人のひな祭り)とは
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重陽の節句には、もう一つ、一風変わった「後の雛(のちのひな)」という風習もありました。これは、なんと、3月3日の雛祭りで飾ったお雛様を、9月9日に再び飾るというものです。ちょっと驚きですよね。

この風習には、大きく分けて二つの大切な目的があったと言われています。

虫干し(実用的な目的)

まず一つ目は、非常に実利的な目的です。お雛様のような大切なお人形を、箱に入れたまま長期間しまいっぱなしにすると、湿気でカビが生えたり、衣装が虫に食われたりしてしまいます。

旧暦の9月9日(今の10月~11月頃)は、空気が乾燥し、秋晴れの過ごしやすい日が多い季節です。この日に人形を取り出して風に当てることは、カビや虫食いを防ぎ、人形を長持ちさせるための「虫干し」として、絶好の機会だったんですね。

大人のひな祭り(儀礼的な目的)

そして二つ目が、儀礼的な目的です。こちらの方が、重陽の節句の本質と深く関わっています。

3月3日の雛祭りが、主に「女の子(子供)」の健やかな成長と厄除けを願う行事であったのに対し、9月9日の「後の雛」は、「大人の女性」が、自分自身の健康や無病息災、そして不老長寿を願うための日とされました。そのため、「大人のひな祭り」とも呼ばれるんです。

民俗学的な観点から見ると、3月3日に子供たちの厄を一身に吸い取ってくれたお雛様を、最大の浄化の節句である9月9日に「虫干し=お清め」する。

そうすることで、人形に溜まった厄をリセットし、清浄な状態に戻して、翌年の節句に備える…という、日本の伝統文化における「厄」の循環ロジックが見て取れるようで、非常に興味深い風習だなと思います。

食べ物:栗ご飯や秋茄子

食べ物:栗ご飯や秋茄子
神社と日本の伝統文化・イメージ

儀礼的な側面と同時に、「栗の節句」と呼ばれる通り、秋の豊かな「収穫祭」としての側面も、この節句の大きな特徴です。人々は旬の食材を「行事食」として食べることで、その恵みに感謝し、健康と豊穣を祈願しました。

栗(栗ご飯・栗菓子)

「栗の節句」と呼ばれる最大の理由が、この時期に旬を迎える栗を食べる習慣です。

この日は秋の収穫祭と重なっており、旬の味覚である「栗ご飯」を炊いて、その年の収穫を祝い、家族で楽しむ風習がありました。栗は栄養価が高いだけでなく、不老長寿にもつながる縁起の良い食べ物と考えられていたんですね。

現代でもこの風習は食文化の中に色濃く残っています。9月9日前後になると、多くの和菓子屋さんが「重陽の節句」にちなんで、新栗を使った「栗きんとん」や「栗羊羹(ようかん)」、「栗蒸し羊羹」など、さまざまなお菓子を販売します。これは、私たちにとって一番身近な重陽の節句の形かもしれません。

秋茄子(あきなす)

重陽の節句には、同じく旬の食材である「秋茄子」もよく食べられました。「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざもありますが(これには諸説あります)、それだけ美味しく、栄養があるとされていました。

これには、「おくんちに茄子を食べると中風(ちゅうぶ)にならない」という、古い言い伝えが関係しています。

「おくんち」と「中風」の豆知識

「おくんち」:これは「9日(くにち)」のことで、重陽の節句(9月9日)を指す言葉です。
「中風(ちゅうぶ)」:現代では主に脳卒中などによる半身不随や麻痺を指す言葉として使われますが、昔はもっと広く、発熱や頭痛、めまいといった体調不良全般を指す言葉でもありました。

つまり、旬の美味しい茄子を食べることで、こうした様々な体の不調、ひいては生活習慣病などを予防し、無病息災を願うという、実利的な「食養生」の意味合いが込められていたんですね。

こうした収穫への感謝は、神社の「新嘗祭(にいなめさい)」などにも通じる、日本の大切な精神文化です。私たちの命を育む「食」の神様といえば、伊勢神宮の外宮(げくう)にお祀りされている豊受大神宮(とようけのおおみかみ)が有名ですね。

秋茄子の言い伝えについても、当時の生活の知恵や経験則に基づくものであり、特定の病気に対する現代医学的な予防効果を示すものではありません。あくまで豊かな食文化の背景として、楽しんでいただければと思います。

日向子
日向子

旬のものを頂くとき、そうした神様への感謝の気持ちを思い出すのも、素敵なことですね

九州の「くんち」との関連性

九州の「くんち」との関連性
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都の貴族文化として始まった重陽の節句ですが、地方の農耕社会に伝わる過程で、その土地の文化と融合し、独自の変容を遂げました。その最も顕著な例が、九州北部に伝わる勇壮な秋祭り「くんち」です。

長崎くんち、博多おくんち、唐津くんち…など、九州、特に北部地方では、秋祭りのことを「くんち」と呼びますよね。この「くんち」という独特な言葉の語源、最も有力とされている説が、なんと重陽の節句の日付である「9日(くにち)」が転じた(訛った)もの、という説なんです。

(※このほか、神社への「供日(くにち)」や「宮日(くにち)」が語源であるとする説もあります)

平安時代に都から伝わった「重陽の節句(9月9日)」の日に、その土地古来の「秋の収穫祭」を開催するようになった。やがて、その収穫祭そのものが「くんち(=9日の祭り)」と呼ばれるようになった、と考えられています。

この文化の伝わり方は、非常に興味深い現象を示していると私は思います。

  • 中央(都):陰陽思想(不吉と厄払い)や「菊」の風習など、思想的・儀礼的な側面が重要視された。
  • 地方(農耕社会):思想的な側面は薄れ、「栗」に象徴される「収穫祭」という、実利的・生活的な側面が圧倒的に重要視された。

結果として、九州地方では「重陽」や「菊」の風習は(長崎などの一部例外を除き)あまり浸透しなかった一方で、その「日付(9日=くんち)」だけが、その地方で最も重要なお祭りである「秋祭り(収穫祭)全体」を指す総称として、強く定着しました。

これは、菊を用いた「厄払い」の儀礼よりも、目の前の「収穫」の喜びの方が、人々にとってより切実であったことの表れかもしれませんね。

こうしたお祭りの原型は、とても古い神社のあり方とも繋がっています。例えば、日本最古の神社の一つと言われる奈良県の大神神社は、山そのものをご神体とする古い信仰の形を今に伝えており、多くのお祭りが執り行われています。

「くんち」のような地域のお祭りも、こうした古来の信仰と都の文化が結びついて生まれてきたんですね。

現代で忘れられた理由とは

現代で忘れられた理由とは
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ここまで見てきたように、重陽の節句は非常に豊かで多層的な文化背景を持っています。にもかかわらず、なぜ現代において、五節句の中でこれほどまでに認知度が低く、「忘れられた節句」のようになってしまったのでしょうか。

ある学術調査(香川大学)によれば、重陽の節句の認知度は約2割にとどまり、経験者に至っては約6%という低い数値も報告されています。これは認知度が9割を超える他の節句(特に端午、七夕、上巳)と比べて、あまりにも著しい差です。

五節句の比較一覧

日付正式名称通称(別名)主なテーマ・願い現代の定着度
1月7日人日(じんじつ)七草の節句無病息災高い
3月3日上巳(じょうし)桃の節句, 雛祭り女子の健やかな成長非常に高い
5月5日端午(たんご)菖蒲の節句男子の健やかな成長非常に高い
7月7日七夕(しちせき)星祭り芸事の上達, 恋愛非常に高い
9月9日重陽(ちょうよう)菊の節句, 栗の節句不老長寿, 邪気払い非常に低い

理由1:明治の改暦による「季節感のズレ」

これが最大の要因だと、私は思います。明治5年(1872年)に、日本はそれまでの太陰太陽暦(旧暦)をやめ、西洋式の太陽暦(新暦・グレゴリオ暦)を採用しました。これにより、暦と実際の季節感が大きくズレてしまったのです。

重陽の節句の行事は、すべて旧暦の9月9日(現在の10月中旬から11月頃)に行われることを前提に成立していました。その時期は、まさに菊が美しく咲き誇り、栗が収穫される、秋たけなわの季節です。

しかし、新暦の9月9日は、多くの地域でまだ残暑が厳しく、台風シーズンでもあります。菊の季節には早すぎ、栗の本格的な収穫にもまだ早いです。

この「季節感の致命的なズレ」により、行事の根幹である「菊」を用いた儀礼(菊酒、着せ綿、菊合わせ)が、その最も重要な時期に行えなくなってしまいました。儀礼の主役(アイテム)を失ったことで、行事の根幹が破綻してしまったのです。

理由2:農繁期との重複

新暦の9月9日という日付は、日本の多くの地域で、稲刈りをはじめとする収穫作業の最盛期、すなわち一年で最も多忙な「農繁期」と重なってしまいました。

国民の多くが農家であった時代、この最も忙しい時期に、菊を愛でるような貴族的な優雅な行事を行う時間的な余裕は、当然ありませんでした。「栗の節句」という収穫祭の側面も、皮肉なことに、収穫作業そのものの多忙さによって、ゆっくり祝うことが困難になったのです。

理由3:行事の性質と「主役」の不在

他の節句が、改暦という大きな変化を乗り越えて現代に強く定着した理由を考えると、重陽の節句が持たなかった「ある要素」が浮かび上がります。

  • 3月3日(上巳) → 「女の子」の日(雛祭り)
  • 5月5日(端午) → 「男の子」の日(こどもの日)

これらは「子供の健やかな成長を祝う」という、近代的で非常に分かりやすい役割を与えられ、「家庭」という単位に強く根付きました。

一方、重陽の節句のテーマは「不老長寿」や「厄払い」。元々が宮中や貴族の行事であったことから、テーマがやや抽象的で「大人の行事」でした。

家庭内において、祝う対象となる「子供」という明確な主役(主人公)がいなかったため、「子供のため」という強い実践の動機が働かず、他の節句ほど強くは継承されなかったのではないか、と考えられます。

「①儀礼の道具(菊)の喪失」「②実践の余裕(時間)の喪失」「③文化的動機(主役)の不在」という三重苦が、この節句を現代において「忘れられた節句」にしてしまったと分析できます。

重陽の節句はどんな日か不吉か総括

重陽の節句、どんな日か不吉か総括
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さて、ここまで「重陽の節句」について、どんな日で、なぜ不吉と言われるのか、その歴史的な背景や具体的な風習、そして現代で衰退してしまった理由を詳しく見てきました。

この記事の結論として、「重陽の節句=不吉な日」というのは、半分正解で半分誤解、と言えるかもしれません。

正しくは、「陽の気が強すぎるために災いが起きやすいと“警戒された”日」という意味であり、その「不吉」を無事に乗り越えるために、「菊」の力などを借りて積極的に「厄払い」をするのが、この節句の本来の姿だった、ということですね。

現代では、そうした呪術的・思想的な側面は日常生活からほとんど抜け落ちてしまいました。しかし、その文化が完全に途絶えたわけではなく、一部の寺社では今も重陽の神事が行われていますし、そのエッセンスは「食文化」や「季節のイベント」として、形を変えながらも私たちの中に生き残っています。

かつての「厄払いの儀礼」としてではなく、「秋の訪れと実りを祝う、季節の行事」として、その意味合いをポジティブに再構築しながら楽しむのが、現代の私たちに合った付き合い方なのかなと思います。

現代の生活で楽しむ「重陽の節句」アイデア

新暦の9月9日にこだわる必要はまったくありません。むしろ、菊や栗が旬を迎える「旧暦」の時期(10月~11月)に楽しむ方が、本来の意味に近いかもしれませんね。

アイデア1:「栗の節句」として楽しむ(食)

これが最も簡単で、本質的な楽しみ方だと思います。秋の収穫祭として、栗ご飯を炊いたり、秋茄子の料理(焼き茄子や煮びたしなど)を食卓に並べたりします。また、この時期に和菓子屋さんに並ぶ「栗きんとん」や「栗羊羹」、菊の花を模した美しい上生菓子などを味わうのも、季節を感じられて素敵ですね。

アイデア2:「菊の節句」として楽しむ(飲・鑑賞)

冷酒に食用の菊の花びらを数枚浮かべるだけで、手軽な「菊酒」として楽しむことができます。また、おひたしや天ぷらなどで、食用菊のほのかな香りとシャキシャキとした食感を味わうのも、この日ならではの楽しみ方です。

また、菊の本来の見頃である10月~11月になると、全国各地で「菊まつり」や「菊人形展」「菊花展」が開かれます。これらに足を運び、丹精込めて育てられた菊の美しさや栽培技術を鑑賞することは、かつての「菊合わせ(品評会)」の風習を受け継ぐ、現代的な楽しみ方と言えるでしょう。

アイデア3:「後の雛」を実践する(祈)

お雛様をお持ちの家庭であれば、秋のよく晴れた乾燥した日に、人形の「虫干し(風通し)」を兼ねて、短時間だけ飾ってみるのも良いでしょう。子供の健やかな成長を願った春とは異なり、秋は自分自身や家族(大人)の健康と長寿を静かに祈願する、良い機会になるかもしれません。

「不吉な日」という本来の理由は薄れましたが、秋の味覚を楽しみ、美しい花を愛で、自分や家族の健康を願う豊かな「季節の行事」として、重陽の節句を再評価してみると、私たちの暮らしがまた少し豊かになるかもしれませんね。

  • この記事を書いた人
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月影

はじめまして。月影と申します。
神社や日本の文化が好きで、その魅力を伝えたくてブログを始めました。
忙しい毎日に、和の暮らしや神社参拝を通じて、心がほどける時間をお届けできればと思っています。
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