こんにちは。神社と日本の伝統文化、運営者の「月影」です。
秋分の日と春分の日、どちらも「お彼岸」の時期で、昼と夜の長さがだいたい同じになる日。祝日でお休み、というくらいの認識の方も多いかもしれませんね。
でも、じゃあその違いって何だろう?と改めて聞かれると、「うーん…」となってしまいますよね。
実はこの二つ、法律で定められた祝日の「目的」がまったく違うんです。この違いを知るだけでも、祝日への見方が変わるかもしれません。
さらに、お彼岸の意味や、よく聞くあの世との繋がりとは具体的にどういうことなのか、そして同じご先祖供養でもお盆との違いは何なのか、気になるところですよね。
また、私たちの生活に身近な食文化にも、はっきりとした違いがあります。お供えする「ぼたもち」と「おはぎ」の違いはもちろん、なぜ伝統的に「こしあん」と「つぶあん」を使い分けるのか、その深い理由をご存知ですか?
祝日になる前の起源である皇室の「皇霊祭」のことや、「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざに込められた日本人の感性まで。この記事で、そんな秋分の日と春分の日の違いに関する様々な疑問を、一緒にスッキリ解決していきましょう。
秋分の日と春分の日の違いとは?法律と目的

まず、一番大きな違いから見ていきましょう。実はこの二つの祝日、法律で定められた「目的」が全く異なるんです。天文学的には「昼と夜の均衡」という共通点がありますが、日本の文化や歴史の中では、それぞれ異なる意味合いが与えられています。
その違いの背景と、共通の基盤である「お彼岸」との関係性を紐解いていきますね。
春分の日、その目的は?
「国民の祝日に関する法律」という法律で、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日、と定められています。(出典:e-Gov法令検索『国民の祝日に関する法律』第二条)
厳しい冬が終わり、これから万物が芽吹き、動物たちも活動を始める季節ですよね。まさに生命の始まりや自然の恵みそのものを祝う、未来志向でポジティブな祝日なんだな、と私は感じます。
この目的は、戦後に祝日法が制定される際、特定の宗教色を排し、春という季節感に合わせた、誰もが共感できる普遍的なテーマとして選ばれたのかな、と思います。とっても素敵な目的ですよね。
秋分の日はなぜ祖先をうやまう?
一方、同じ法律で、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日、と定められています。
こちらは春とは対照的に、過去に目を向け、ご先祖様や亡くなった方々へ思いを馳せ、感謝と敬意を捧げる日なんですね。この明確な違いには、祝日制定の歴史的な経緯が関係しているようです。
春分の日は「自然」という普遍的なテーマが採用されたのに対し、秋分の日は「祖先」という、より文化的なテーマが残されました。
これは、戦前から「秋のお彼岸」にお墓参りをしてご先祖様を供養するという習慣が、すでに国民生活に深く、広く根付いていたため、その実態が法律の目的として追認された、という側面が強いみたいですね。
共通点はお彼岸!いつからいつまで?

法律上の目的は異なりますが、両日とも私たちには「お彼岸」の期間としてお馴染みです。お彼岸は、日本独自の仏教行事ですね。
お彼岸の期間は、春分の日・秋分の日をそれぞれ「中日(ちゅうにち)」と呼び、その中日を挟んだ前後3日間ずつを合わせた、合計7日間になります。
お彼岸の期間の数え方
- 彼岸の入り:中日(春分の日・秋分の日)の3日前
- 中日(ちゅうにち):春分の日・秋分の日 当日
- 彼岸の明け:中日(春分の日・秋分の日)の3日後
例えば、秋分の日が9月22日であれば、9月19日が「彼岸の入り」、9月25日が「彼岸の明け」となり、この7日間が秋のお彼岸の期間となります。
祝日の日付はどう決まる?
ちなみに、春分の日と秋分の日は「〇月〇日」と日付が固定されていません。これは、地球の公転周期が正確には365日ではないため、春分・秋分の瞬間が毎年少しずつずれるからです。
では、その日付はどう決まるのかというと、国立天文台が翌年の天文学的な春分・秋分の「瞬間」を精密に計算します。
その計算結果に基づき、前年の2月第1平日付の「官報」に「暦要項(れきようこう)」として掲載・告示されることで、初めて法的に確定するんですよ。
科学が法律を直接決めている、とても珍しいケースですね
お彼岸とお盆の違いを解説

同じくご先祖様を供養する行事として「お盆」(通常は8月)がありますが、お彼岸とはどう違うのでしょうか。よく混同しがちですが、この二つは精神性や行事のベクトルが異なります。
お盆(8月など)
ご先祖様の霊を「あの世」から「この世」の自宅に「お迎えして、もてなす」行事です。そのために迎え火や送り火を焚いたり、霊の乗り物とされるキュウリの馬やナスの牛を作ったりといった、特徴的な儀式があります。
お彼岸(春と秋)
私たちが「この世」から「あの世」に思いを馳せ、「お墓参りに出向いて」ご先祖様を供養し、感謝を捧げる行事です。極楽浄土にいるご先祖様を偲ぶ期間であり、お盆のような「お迎え」の儀式は基本的にはありません。
簡単言えば、行事のベクトルが「ご先祖様が帰ってくる(お盆)」か、「私たちが会いに行く(お彼岸)」かで、真逆なんですね。この違いを理解しておくと、それぞれの行事への向き合い方も変わってくるかもしれません。
お彼岸の意味とあの世との繋がり

そもそも「彼岸」という言葉は、仏教の言葉(サンスクリット語)に由来します。「彼岸(ひがん)」とは「あちら側の岸」、つまり煩悩を解脱した悟りの世界(極楽浄土)を指します。対して、私たちが生きる煩悩に満ちた世界は「此岸(しがん)」(こちら側の岸)と呼ばれます。
お彼岸の期間は、彼岸に至るための仏道修行を実践する週間とされています。
なぜ春分・秋分の日なのか?
この特定の期間にご先祖供養が行われるようになった背景には、日本の自然観と仏教思想が美しく融合した、二つの理由があると言われています。
1. 西方浄土と太陽
仏教、特に浄土思想において、阿弥陀如来のいる「極楽浄土」は、はるか「西」にあると信じられてきました(西方浄土)。
一方で、天文学的に、春分の日と秋分の日は、太陽が真東からのぼり、真西に沈む、年に二度だけの特別な日です。
この「太陽が真西に沈む」という天文学的現象と、「極楽浄土が西にある」という仏教的信仰が、日本で完璧に融合しました。
真西に沈む太陽が指し示す方角は、そのまま極楽浄土への道しるべと見なされ、「あの世(彼岸)とこの世(此岸)が最も通じやすい日」と考えられるようになったのです。
2. 「中道」思想との共鳴
もう一つの理由として、「昼と夜の長さがほぼ等しくなる」という点が、仏教の「中道(ちゅうどう)」の思想と結びついた、という説もあります。
中道とは、苦楽のどちらか一方に偏ることを戒め、物事をありのままに捉えるバランスの取れた精神性を指します。自然界が均衡を取り戻すこの時期に、自身の心の在り方を見つめ直す期間としても位置づけられたんですね。
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食文化や起源で知る秋分の日と春分の日の違い

法律上の目的や精神性の違いがわかったところで、次はもっと私たちの暮らしに身近な「食文化」や、祝日制定前の「歴史(起源)」にも目を向けてみましょう。ぼたもちとおはぎの違いには、昔の人の素晴らしい知恵が詰まっていました。
ぼたもちとおはぎの違いは?
お彼岸といえば、もち米とあんこで作ったあのお菓子ですね!これも季節によって呼び名が違うのは、皆さんご存知かと思います。
- 春のお彼岸:春に咲く「牡丹(ぼたん)」の花にちなんで「ぼたもち(牡丹餅)」
- 秋のお彼岸:秋に咲く「萩(はぎ)」の花にちなんで「おはぎ(御萩)」
基本的には同じお菓子を、季節を彩る花の名前で呼び分けるなんて、とても日本的で風流だなと思います。
では、なぜお彼岸にこのお菓子を食べるのでしょうか。これにも諸説ありますが、主に二つの理由が挙げられます。
小豆の「赤色」に込められた意味
あんこに使われる小豆の「赤色」は、古来より邪気を払い、魔除けの力があると信じられてきました。あの世とこの世が通じやすくなるとされるお彼岸の期間に、この赤い食べ物を供え、また食すことで、家族の無病息災や魔除けを願うという意味合いがあったんですね。
貴重な「甘さ」で表す感謝
今でこそ砂糖は身近なものですが、かつては非常に高価な貴重品でした。ご先祖様と通じるお彼岸という特別な日に、その貴重な砂糖をふんだんに使った甘いお菓子をお供えすること自体が、ご先祖様への最上の供養であり、深い感謝の表現でした。
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こしあんとつぶあんの理由

実は、ぼたもちとおはぎの違いは、単なる呼び名だけではありません。伝統的な製法においては、「あんこ」の種類、さらには「形状」にも、日本の農耕カレンダーに基づいた、合理的かつ深遠な違いが存在していました。
秋のおはぎは「つぶあん」
秋は、まさにあんこの原料である小豆の収穫シーズンです。獲れたばかりの新鮮な小豆は、皮も柔らかく、風味も豊か。その美味しさを余すところなく味わうため、皮の食感と風味を丸ごと楽しむ「つぶあん」が使われました。
春のぼたもちは「こしあん」
一方、春のお彼岸に使う小豆は、秋に収穫してから冬を越したものです。保存している間に水分が抜け、皮が硬くなってしまいます。そのままでは食感が悪くなってしまうため、皮を丁寧に取り除き、口当たり滑らかにすり潰した「こしあん」が用いられたのです。
作物の収穫時期に合わせて、一番美味しく食べるための工夫をする。昔の人の知恵と、作物を大切にする心が感じられますよね。最近は品種改良や保存技術が格段に進歩したので、この厳密な使い分けは曖昧になり、一年中「おはぎ」と呼ばれることも増えているみたいですけどね。
形の由来にも美意識が
さらに、その形状にも、季節の美意識が反映されていたとされます。
- 春(ぼたもち):牡丹の花のように、大きくふっくらとした「丸型」
- 秋(おはぎ):萩の花のように、小ぶりで可憐な「俵型」
こうした違いを知ると、和菓子一つとっても奥深いなと感じるわね
祝日の起源、皇霊祭とは?

今でこそ「国民の祝日」ですが、1948年(昭和23年)に現在の法律で制定される前は、皇室の重要な「祭日(さいじつ)」、つまりお祭りの日でした。
- 春分の日 → 春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)
- 秋分の日 → 秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)
これらは、天皇陛下が皇居内にある「皇霊殿(こうれいでん)」という場所において、歴代の天皇や皇族といった、皇室のご先祖様の御霊をお祀りする、皇室にとって極めて重要なご先祖祭の儀式でした。
現在の秋分の日の目的である「祖先をうやまう」という精神は、この「皇霊祭」がルーツになっているんですね。皇室のご先祖祭が、戦後、国民全体の「祖先崇拝」の日として引き継がれた、という流れが見えます。
春分の日だけにある神殿祭

ここで、両日の皇室祭祀を宮内庁の記録などで詳しく比較すると、非常に興味深い「非対称性=違い」が浮かび上がります。
- 秋:「秋季皇霊祭」(ご先祖祭)が斎行されます。
- 春:「春季皇霊祭」(ご先祖祭)と「春季神殿祭(しゅんきしんでんさい)」の二つが、同じ日に斎行されます。
この「神殿祭」というのは、「皇霊殿」の隣にある「神殿(しんでん)」で、八百万の神々(天神地祇)に対し、神恩への感謝を捧げるお祭りです。
なぜ、春だけ「ご先祖様」と「神々」の二つに感謝を捧げるのでしょうか。これは、春が万物が芽吹き、農耕が始まる大切な季節であることと無関係ではないと私は思います。
春には、ご先祖様への報告(皇霊祭)と同時に、この一年の豊穣と自然の恵みをもたらす神々へ、感謝と祈願を行う(神殿祭)という二重の目的があったと推察されます。
この「神々(自然)への感謝」という「神殿祭」の精神が、戦後の春分の日の「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という祝日の目的にスライドした…と考えると、法律で定められた目的の違いが、とても深く、歴史的に理解できる気がしませんか?
皇室の祭祀と神社の関係も深いものがあります。神社の神様について興味が湧いた方は、日本の神様の種類やそのご利益について解説した記事も参考にしてみてください。
暑さ寒さも彼岸まで

「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざ、本当によくできた言葉だなと、季節の変わり目になるたびに思います。
これは、夏の厳しい残暑も、冬の厳しい余寒も、お彼岸(春分・秋分)の頃には和らぎ、過ごしやすい気候へと移り変わっていく、という日本人が長年の経験から得た気候的な体感を示しています。
本当にお彼岸を過ぎると過ごしやすくなるから不思議よね
さらに、このことわざは単なる気候の指標に留まりません。「辛いことや苦しい時期も、いずれ時期が来れば必ず終わり、穏やかな時が訪れる」という、人生の比喩としても用いられます。
お彼岸が仏教の「中道」の思想(偏らないバランス)とも結びついているように、人々が自らの人生の苦楽を、季節の移ろいという大きな自然のサイクルに重ね合わせてきた、日本人の豊かな感性が表れている言葉だなと思います。
秋分の日と春分の日の違いまとめ

今回は、秋分の日と春分の日の違いについて、法律、お彼岸、食文化、そして起源という5つの側面から掘り下げてみました。天文学的には「昼と夜の均衡」という似た日ですが、その文化的、歴史的な意味合いにおいて、明確な非対称性(違い)があることがお分かりいただけたかと思います。
【一覧表】春分の日と秋分の日の違い(総括)
| 比較項目 | 春分の日 | 秋分の日 |
|---|---|---|
| 法律上の目的 | 「自然をたたえ、生物をいつくしむ」 | 「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」 |
| 仏教行事 | 春のお彼岸(中日) | 秋のお彼岸(中日) |
| 皇室祭祀(起源) | ①春季皇霊祭(ご先祖) ②春季神殿祭(神々・自然) | ①秋季皇霊祭(ご先祖) |
| 食べ物(伝統) | ぼたもち(牡丹餅) ・こしあん(前年の豆で皮が硬い) ・丸型(牡丹の花) | おはぎ(御萩) ・つぶあん(新豆で皮が柔らかい) ・俵型(萩の花) |
| 象徴する精神性 | 生命、自然、未来、普遍性 | 祖先、歴史、過去、文化的固有性 |
春分の日は、未来へ向かう「生命と自然への感謝」を象徴し、秋分の日は、過去から続く「歴史と祖先への感謝」を象徴しています。これらは、日本人の精神性を形作る「水平方向(自然)」と「垂直方向(祖先)」の二大支柱そのものと言えるかもしれません。
祝日の意味を知ると、いつものお墓参りや、お店で「おはぎ」や「ぼたもち」を手に取る時の気持ちも、これから少し変わってくるかもしれませんね。