こんにちは。神社と日本の伝統文化、運営者の「月影」です。
2月11日が近づくとカレンダーを見て「お、休みだ!」と嬉しくなりますよね。
でも、ふと「そもそも、なんでこの日が休みなんだろう?」と疑問に思ったことはありませんか。
建国記念日の由来やなぜ2月11日に決まったのか、その理由を詳しく知っている人は案外少ないかもしれません。
学校ではあまり深く習わない部分ですし、神話や歴史が絡んでいて少し難しそうに感じることもありますよね。
この記事では、そんな疑問を歴史的な背景や神社の視点から、できるだけ分かりやすく紐解いていきます。
建国記念日の由来となぜ2月11日なのかを歴史から解説

まずは、一番の疑問である「なぜ2月11日なのか」という点について、歴史をさかのぼって見ていきましょう。
実はこの日付、現代の誰かが適当に決めたわけではなく、古代の書物に残された記述と、明治時代のエリート数学者たちの頭脳が組み合わさって導き出された、非常に緻密な日付なのです。
神武天皇の即位と日本書紀の記述

建国記念の日のルーツをたどると、今から1300年以上も前に編纂された奈良時代の歴史書『日本書紀』に行き着きます。
この書物は、日本の歴史を神代から記録した正史(国が定めた公式の歴史書)であり、そこに日本の初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)の即位に関する記述があります。
神武天皇は、もともと九州の日向(現在の宮崎県)にいらっしゃいましたが、平和で豊かな国を築くために東へと旅立ちました。
これを「神武東征(じんむとうせい)」と呼びます。道中では、瀬戸内海を経て大阪に向かう途中でナガスネヒコの激しい抵抗にあったり、熊野の山中で道に迷ったりと、数え切れないほどの苦難を経験されます。
そんな時、天から遣わされた三本足の「八咫烏(やたがらす)」に導かれ、ようやく大和(現在の奈良県)の地に入ることができたという伝説は有名ですね。
そして、長い戦いの末に国内を平定した神武天皇は、大和の橿原(かしはら)という場所に宮殿を建て、そこで初代天皇として即位されました。
これが、日本という国が始まった瞬間、「建国」とされる出来事です。『日本書紀』の巻第三には、その記念すべき即位のタイミングについて、次のように記されています。
この記述は非常に具体的です。「辛酉の年」という年の指定、「春正月」という季節の指定、そして「庚辰の日」でかつ「朔(新月)」であるという日の指定。
これら3つの要素がパズルのピースのように組み合わさっており、この記述こそが、後世の人々が「建国の日付」を特定するための唯一の手がかりとなりました。
つまり、2月11日という日付は、ある日突然決められたものではなく、この古代の記録(辛酉年1月1日)を、近代的なカレンダーに翻訳しようとした結果生まれたものなのです。
神話の世界と現代のカレンダーがリンクしているなんて、なんだかロマンを感じるわね
神話と歴史が交差するこの不思議な感覚こそが、日本の建国の物語の面白いところだよね
紀元前660年と辛酉革命説の関係

さて、日付の特定において最も重要かつ謎めいているのが、「辛酉(かのととり)の年」が西暦でいうといつなのか?という問題です。
現在、一般的に神武天皇の即位は「西暦紀元前660年」とされていますが、なぜこれほど古い年代なのでしょうか。
ここには、古代中国から伝わった「辛酉革命(しんゆうかくめい)説」という、歴史のサイクルに関する思想が深く関わっているのかもしれません。
歴史を動かす60年サイクルと1260年サイクル
干支(えと)は「甲・乙・丙…」という十干と、「子・丑・寅…」という十二支の組み合わせで60年ごとに一巡しますが、昔の中国の思想では、「辛酉(かのととり)」の年には天命が改まり、革命的な変革が起きると信じられていました。これを「辛酉革命」と呼びます。
さらに、この60年のサイクルが21回繰り返されると、1260年(60年×21回)となり、この周期で歴史上さらに大きな「大革命」や画期的な出来事が起きると考えられていました。これを「一元(いちげん)」と呼びます。
紀元前660年が算出されたロジック
『日本書紀』の編纂者たちは、当時の国家の一大転換点であった聖徳太子の時代、具体的には推古天皇9年(西暦601年)が「辛酉の年」であったことに注目しました。
この601年を基準点(アンカー)として、そこから「一元」にあたる1260年をきっかりさかのぼった年を、新たな王朝を開く聖人(神武天皇)が出現するのにふさわしい「辛酉の年」として設定したという説があります。
計算してみましょう。
西暦601年 - 1260年 = -659年
西暦には0年がないため、紀元前660年となります。
諸説あるので、本当に紀元前660年に神武天皇が即位したのかもしれません
私は紀元前660年に即位したと思うわ。信じるだけなら自由よね♪
誰が2月11日を決めたのかと計算法

「年」が紀元前660年に決まったところで、次は「月日」の特定です。ここからは明治時代の話になります。
明治維新後、日本政府は欧米列強と肩を並べる近代国家を作るため、それまで使っていた「太陰太陽暦(旧暦)」を廃止し、世界標準である「太陽暦(グレゴリオ暦)」を導入しました(明治5年の改暦)。
この時、新しいカレンダーに合わせて、神武天皇即位の日(旧暦1月1日)も新暦の特定の日付に固定する必要が生じました。
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数学者・塚本明毅の緻密な計算
この難しい計算を担当したのが、文部省天文局の塚本明毅(つかもと・あきたけ)を中心とする学者グループでした。
彼らはただ漫然と旧暦を新暦に直したわけではありません。古代の記述を科学的に検証しながら、以下のようなプロセスで日付を特定しました。
- 年の確定:まず前提として、即位年を「紀元前660年」に固定します。
- 季節の推定:『日本書紀』の「春正月」という記述に着目。旧暦の正月は、通常であれば「立春(太陽の角度が315度になる日)」の前後になります。そこで、即位日は立春に近い時期であろうと推定しました。
- 干支の検索:紀元前660年の立春前後で、記述通り「庚辰(かのえたつ)」という干支が回ってくる日を探しました。
- 月の満ち欠けの確認:さらに、その日が「朔(新月)」であるかどうかも、天文学的な計算でチェックしました。
この気の遠くなるような計算の結果、紀元前660年の立春に最も近く、かつ「庚辰」であり「新月」でもある日として特定されたのが、太陽暦(グレゴリオ暦)における2月11日だったのです。
こうして明治6年(1873年)、太政官布告によって2月11日が「紀元節(きげんせつ)」と定められました。つまり、私たちが2月11日に祝日を迎えるのは、古代の神話と明治のサイエンスが融合した結果なのです。
現代のカレンダーの中に、数千年前の神話の痕跡が刻まれていると考えると、2月11日という日付が特別なものに思えてきませんか?
紀元節の廃止から復活までの経緯

戦前の日本において、2月11日の「紀元節」は、現在とは比べ物にならないほど重みのある日でした。
四大節(元日、紀元節、天長節、明治節)の一つとして、国家神道体制の中で最も神聖な日とされ、全国の学校や役所では盛大な祝賀式典が行われていました。
「雲に聳(そび)ゆる高千穂の~」で始まる「紀元節の歌」を奉唱し、神武天皇の建国の精神を讃えることが、国民としての務めとされていたのです。
GHQによる廃止指令
しかし、1945年の敗戦により、この日の運命は大きく暗転します。日本を占領したGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、紀元節が「神国日本」という超国家主義的な思想を支え、軍国主義を鼓舞する役割を果たしたと判断しました。
その結果、1948年に制定された「国民の祝日に関する法律」から紀元節は除外され、祝日としては廃止されてしまったのです。
「建国を祝う日がない」という状態は、サンフランシスコ講和条約によって日本が主権を回復した1952年以降も続きました。
しかし、独立国として歩み始めた日本国内からは、「どの国にも建国記念日はあるのに、日本にないのはおかしい」「日本の歴史を大切にする日が必要だ」という声が、国民や神社界を中心に急速に高まっていきました。
9回にも及んだ廃案と激論
これを受けて、1957年には自民党の議員たちが「建国記念日」を復活させる法案を国会に提出しました。しかし、ここからが長い苦難の道のりでした。
歴史学者や野党(社会党や共産党など)は、「神武天皇の即位は科学的な史実ではない」「紀元節の復活は、戦前の軍国主義への回帰につながる」「民主主義の精神に反する」として猛烈に反発しました。
国会での議論は紛糾を極め、法案が出されては廃案になるという事態がなんと9回も繰り返されたのです。
当時の世論調査でも意見は真っ二つに割れており、政府は解決の糸口を見つけるために有識者による「建国記念日審議会」を設置するなど、慎重な対応を迫られました。
この時期の議論は、単なる祝日の制定を超えて、「戦後の日本が自国の歴史とどう向き合うか」という大きな問いを突きつけていたと言えます。
当時の議事録などを読むと、それぞれの立場の人々が真剣に日本の未来を憂いていたことが伝わってきます。
日本国内でも意見が真っ二つに分かれてしまったのね。不思議...
かなり大変な思いをして昔の人たちは建国記念日を作ってくれたんだね
建国記念の日にある「の」の意味

長きにわたる論争の末、1966年(昭和41年)、佐藤栄作内閣の下でついに祝日法の改正が行われ、建国を祝う日が復活することになりました。
しかし、その名称には、当時の激しい対立を乗り越えるための、ある「魔法の一文字」が加えられました。それが「の」です。
名称は「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」と定められました。たった一文字の違いですが、ここには法解釈上の決定的な違いが存在します。
| 名称 | 法的な意味合い | ニュアンス |
|---|---|---|
| 建国記念日 | 2月11日そのものが建国の日である | 神武天皇の即位(紀元前660年2月11日)を歴史的な事実(史実)として認める立場。 |
| 建国記念の日 | 建国されたという事象を記念する日 | 2月11日が建国日そのものであるとは断定せず、「日本という国ができたこと」自体をお祝いする日とする立場。 |
政治的妥協の産物としての「の」
政府は、「の」を入れることによって、「神武天皇の即位日は科学的な史実ではない」とする反対派の主張に配慮しました。
「あくまで『建国されたこと』を祝う日であって、2月11日を絶対的な建国日だと認定したわけではありませんよ」という解釈の余地を残したのです。
さらに、通常の祝日は法律(祝日法)の中で「〇月〇日」と日付が明記されていますが、建国記念の日だけは法律の中に日付が書かれておらず、「政令で定める日」とされています。
これも、国会での対立を避けるために、日付の決定を政府(政令)に委ねるという異例の措置が取られた結果です。
詳しくは内閣府の公式見解なども参照すると、その定義の繊細さがよく分かります。
(出典:内閣府『国民の祝日について』)
このように、「建国記念の日」という名称には、歴史認識をめぐる国民の分断を避けつつ、なんとかして国を祝う日を作りたいという、先人たちのギリギリの知恵と妥協が込められているのです。
私、今までずっと「建国記念日」だと思い込んでいたわ。「の」がつくのね
「の」というたった一文字に、これほど深い政治的な背景があったなんて、普通なかなか気づかないよね
橿原神宮と建国記念日の由来やなぜ2月11日かの関係性

ここまで歴史的・政治的な背景を見てきましたが、ここからは視点を変えて、現代における「祭祀(さいし)」の現場からこの日を見つめてみましょう。
建国記念の日は、法律上は国民の祝日ですが、実際には奈良県橿原市に鎮座する橿原神宮(かしはらじんぐう)と密接不可分な関係にあります。
橿原神宮で行われる紀元祭の内容
橿原神宮は、明治23年(1890年)に、神武天皇が即位したとされる「橿原宮」の跡地(畝傍山のふもと)に創建された神社です。
比較的新しい神社ですが、京都御所の施設を移築して本殿にするなど、国家の威信をかけて造営されました。
毎年2月11日、この橿原神宮では年間で最も重要かつ盛大なお祭りである「紀元祭(きげんさい)」が斎行されます。この日は早朝から、神職の方々だけでなく、全国から集まった参列者で境内が埋め尽くされます。
天皇陛下の使い「勅使」が参向
紀元祭の最大の特徴は、天皇陛下のお使いである「勅使(ちょくし)」が参向されることです。勅使は、天皇陛下からの捧げ物である「御幣物(ごへいもつ)」を神前に供えます。
これは、建国記念の日が単なる世俗的な休日ではなく、現在でも皇室祭祀と深く結びついていることを示す象徴的な光景です。
| 儀式の流れ | 内容と意味 |
|---|---|
| 修祓(しゅばつ) | 参列者全員をお祓いし、心身を清めます。神聖な場に入るための不可欠な儀式です。 |
| 一拝・献饌 | 神様にご挨拶をし、海や山の幸など豪華なお食事(神饌)をお供えします。 |
| 祝詞奏上 | 宮司が、神武天皇の偉業を称え、日本の安寧と繁栄を祈る言葉(祝詞)を読み上げます。 |
| 勅使参向 | 天皇陛下からの幣物を奉り、御祭文を奏上します。祭典のクライマックスです。 |
| 扇舞奉奏 | 神楽舞が奉納され、優雅な舞で神様をお慰めします。 |
祭典の最後には、参列者全員で「紀元節の歌」を奉唱します。戦前の歌詞がそのまま使われており、数千人の歌声が境内に響き渡る様子は圧巻の一言です。
また、この同じ時刻に合わせて、全国各地の神社(例えば東京の明治神宮や各地の護国神社など)でも、橿原神宮の方角に向かって拝礼する「遥拝式(ようはいしき)」が行われています。
つまり、2月11日の午前中は、日本中の神社の祈りが奈良の橿原神宮へ向かって集中する時間帯なのです。神社好きとしては、この「祈りのネットワーク」が可視化される瞬間に、心を打たれるものがあります。
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反対パレードや集会が行われる理由

一方で、ニュースなどで「建国記念の日反対集会」や、反対を訴えるデモ行進の映像を見たことがある方もいるかもしれません。
「お祝いの日になぜわざわざ反対するの?」と不思議に思う方も多いでしょう。しかし、これにも先ほど解説した「歴史的な経緯」と「思想的な背景」が深く関係しています。
反対派の主張の核心は、主に以下の3点に集約されます。
特に近年では、東京の原宿・表参道エリアで、盛大な「奉祝パレード」が行われる一方で、都内の別の場所では「反対集会」が開かれるという、祝賀と抗議が同時進行する光景が見られます。
奉祝派の人々は「国の誕生日を素直に祝うべきだ」と考え、反対派の人々は「過去の反省を忘れず、民主主義を守るべきだ」と訴えています。
このように、2月11日は単なる休日ではなく、日本人が「国」や「歴史」についてどう考えるか、その価値観の対立が浮き彫りになる日でもあるのです。
どちらの意見が良い悪いという単純な話ではなく、こうした多様な意見が存在すること自体が、現在の日本社会の一つの側面なのだと私は感じています。
子どもに簡単に由来を伝える方法

もし、小さなお子さんやお孫さんに「今日はなんのお休み?」「どうして旗(国旗)が出ているの?」と聞かれたら、皆さんはどう答えますか?
ここまで解説してきたような、紀元前660年の話や政治的な対立の話をしても、子供たちはポカーンとしてしまいますよね。
子供たちに伝える際は、難しい史実は一旦脇に置いて、「国を大切に思う心」や「感謝の気持ち」に焦点を当てて説明するのがおすすめです。
子供への伝え方の例
「昔々の今日、日本の最初の天皇(神武天皇)が即位して、日本という国が始まったとされる日なんだよ。だから今日は『日本のお誕生日』をお祝いする日なんだ。みんなもお誕生日をお祝いされると嬉しいよね?それと同じで、私たちが住んでいる日本におめでとうって言う日なんだよ。」
また、保育園や幼稚園などでは、「みんなが住んでいる日本という国ができたことをお祝いし、日本を愛する心を育てる日」といった説明がされることが多いようです。
神武天皇という固有名詞を出さなくても、「自分たちの国がずっと昔から続いていて、今、平和に暮らせていることに感謝しようね」と伝えるだけでも十分意義があります。
私の家でも子供に「今日は日本の誕生日だよ」と教えて、赤飯を炊いたりして少し特別な食事を楽しんでいたりします
家族で「日本ってどんな国かな?」「日本の好きなところはどこ?」なんて話し合うきっかけにするのも素敵ね
海外の建国記念日と日本の違い

日本の建国記念の日の特徴をより深く理解するために、海外の事例と比較してみましょう。世界各国の「建国記念日(ナショナル・デー)」を見てみると、日本がいかに特殊な国であるかがよく分かります。
世界の多くの国では、近代国家として成立した明確な「歴史的事実」に基づいた日付を記念日としています。
| 国名 | 記念日の名称 | 日付の由来 |
|---|---|---|
| アメリカ | 独立記念日(7月4日) | 1776年に独立宣言が署名された日。 |
| フランス | 革命記念日(7月14日) | 1789年のフランス革命でバスティーユ牢獄を襲撃した日。 |
| 中国 | 国慶節(10月1日) | 1949年に毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した日。 |
| ドイツ | ドイツ統一の日(10月3日) | 1990年に東西ドイツが再統一した日。 |
これに対し、日本の場合は「いつ国ができたのか」という正確な日付が存在しません。
なぜなら、日本は近代以前に他国の植民地になった経験がなく、王朝が交代して国が断絶したこともないため、「今日から新しい国です!」と宣言した日が歴史上にないからです。
これを「万世一系(ばんせいいっけい)」と言ったりもしますが、世界的に見ても非常に稀なケースです。
そのため、神話上の日付である「紀元前660年1月1日」を、近代天文学という科学の力を使って「2月11日」に変換し、それを記念日にするという、いわば「神話と科学のハイブリッド」な手法を取らざるを得なかったのです。
他国が「革命」や「独立」を祝うのに対し、日本は「連続性」と「伝統」を祝う。
この違いを知ることは、日本の文化や歴史のユニークさを再確認することにもつながります。
海外の友人に「日本の建国記念日はいつ?」と聞かれたら、「実はね、神話が由来なんだよ」と説明してあげると、きっと興味を持ってもらえるはずです。
神話由来の建国記念日って素敵!テレビとかで大々的にお祝いしてほしいわね
建国記念日の由来となぜ2月11日かを知る大切さ

ここまで、建国記念の日の由来や、なぜ2月11日に決まったのかという謎について、古代の神話から現代の社会問題まで幅広く見てきました。
改めて振り返ると、2月11日は単なる「2月の祝日」ではありません。
その背景には、国を治める正統性を求めた古代の人々の願い、近代国家としての体裁を整えようとした明治の人々の知恵、そして戦争の反省と国のあり方をめぐって葛藤した戦後の人々の思いが、幾重にも積み重なっています。
「の」の一文字に込められた先人たちの配慮や、橿原神宮で今も続く厳かな祈り、そして街中で見られる奉祝と反対の光景。これら全てが、今の日本という国を形作っている要素なのです。
今年の2月11日は、ただの連休として過ごすだけでなく、少しだけ歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
「日本という国が長く続いてきたこと」への不思議さと感謝を感じながら、家族で日本の歴史について話したり、近くの神社に参拝して静かに手を合わせたりするのも、とても有意義な過ごし方だと思います。
歴史を知ることは、今を知ること。この記事が、皆さんが日本の伝統や文化により深く興味を持つきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。それでは、また次回の記事でお会いしましょう。