こんにちは。神社と日本の伝統文化、運営者の「月影」です。
夏の土用の丑の日が近づくと、平賀源内の話をよく聞きますよね。でも「土用の丑の日と平賀源内の話は嘘」という説も根強くあり、本当の理由は何なのか、気になって検索された方も多いと思います。
「じゃあ、この習慣はいつから始まったの?」「平賀源内じゃなかったら誰きっかけなの?」といった疑問も次々と湧いてきます。
実は、この習慣、平賀源内の逸話がなぜ広まったのかを探ると、ウナギよりずっと古い歴史が見えてくるんです。日本人が古くから大切にしてきた季節の節目との向き合い方がそこにはありました。
この記事では、平賀源内説の真相から、なんと万葉集にまで遡るウナギの歴史、そしてウナギ以外の食べ物、例えば土用餅や、神社で行われるきゅうり加持のような本来の「土用」の風習まで、その背景を一緒にじっくりと見ていきたいと思います。
土用の丑の日を迎える前に、この長年の疑問をスッキリ解決しておきましょう。
土用の丑の日と平賀源内の嘘、その真相

「土用の丑の日=平賀源内」という話は、もはや日本の夏の常識のようになっていますよね。
夏場に売上が落ち込むウナギ屋を助けるための、江戸時代の天才マーケッター・平賀源内。このストーリーは非常に魅力的です。でも、この有名な話が「嘘」だとしたら…。
ここでは、まずその説の真相と、ウナギの食文化がいつ始まったのか、そのルーツを深く掘り下げてみます。
2026年の土用の丑の日はいつ?
まずは、皆さんが気になっているであろう、直近の情報からお伝えしますね。暦(こよみ)の上での季節の変わり目である「土用」は、毎年少しずつ日付が変わります。
2026年(令和8年)の場合、「夏の土用」の期間は、7月20日(月)から8月6日(木)までの約18日間です。
そして、この期間中にある「丑(うし)の日」が、私たちがウナギを食べる日とされているわけです。
2026年 夏の土用の丑の日
2026年の土用の丑の日は7月26日(日)
土用の丑の日は2回の年もありますが2026年は1回になります
平賀源内説は嘘?なぜ広まったか
さて、この記事の核心である「土用の丑の日と平賀源内の話は嘘」という説です。いきなり結論から言ってしまうと、この逸話が江戸時代の史実である可能性は極めて低い、というのが現在の有力な説かなと思います。
よく語られるストーリーは、皆さんご存知の通りです。
夏場はウナギの旬(天然ウナギの旬は秋~冬)から外れるため、客足が遠のいて困っていたウナギ屋(一説には「春木屋善兵衛」という名も)が、知人の平賀源内に相談した。そこで源内は、「丑の日に『う』の付くものを食べると夏負けしない」という当時の俗信に着目し、「本日、土用の丑の日」と大書した看板(張り紙)を店先に掲げることを提案。これが江戸っ子たちの間で大当たりし、他のウナギ屋もこぞって真似をした結果、習慣として定着した。
この話、現代のマーケティング戦略そのもので、非常に面白いですよね。
ですが、これが「嘘」とされる最大の理由は、ただ一つ。平賀源内が生きていた江戸時代(1728~1780年)の文献、彼自身の膨大な著作や書簡、あるいは同時代の人々による日記や記録の中に、このウナギ屋との逸話を裏付ける一次資料が一切存在しない点にあります。
では、なぜこんなに有名になったのか?
それは、平賀源内という人物が持つ、強力なパブリックイメージ(ブランド)が理由だと私は思います。
彼はエレキテル(摩擦起電機)の復元や鉱山開発、物産会(今でいう博覧会)の開催などを手がけた、江戸時代の「万能の天才」「稀代のアイデアマン」として、当時から有名人でした。
彼には「蝦夷地(北海道)へ渡った」という史実とは異なる「伝説」が語り継がれるなど、もともと伝説を惹きつける磁力があったんですね。
この「源内ブランド」が、彼の死後100年以上が経過した明治・大正時代に、再び脚光を浴びます。
日本が近代化し、「広告」「宣伝」「マーケティング」という商業的な概念が社会に広まり始めた時代です。
そんな時代の人々にとって、「詩人(其角)が句を詠んだから」という風雅な由来よりも、「アイデアマン(源内)が奇抜なマーケティング戦略で流行らせた」というストーリーの方が、遥かに「近代的」で「面白い」物語として響いたんです。
つまり、「平賀源内説」は、土用の丑の日の由来であると同時に、平賀源内という人物を「近代的なアイデアマン」として再ブランディングするための、明治・大正時代における二次的なマーケティングの産物であった、と分析できるかもしれません。
史実としては「嘘」であっても、マーケティングの本質を突いた「巧みな物語」であったと言えるでしょう。
逸話はいつから?文献に見る初出

では、この「平賀源内=ウナギ」説は、具体的にいつ頃から文献に登場し始めたんでしょうか。
文献を丹念に追跡していくと、驚くことに、源内さんが亡くなってから120年以上も経った近代、明治時代・大正時代になってから、ようやくその姿を現し始めます。
「平賀源内・ウナギ説」の文献的検証
この逸話がどのように“成長”していったのか、時系列で見てみましょう。
| 時代 | 年代 | 文献(出典) | 内容 |
|---|---|---|---|
| 江戸中期 | 1728~1780年 (源内の生涯) | 同時代の一次資料 | 【存在しない】 源内自身や同時代人の記録に、ウナギとの関連を示す記述は一切見つかっていません。 |
| 明治時代 | 1905年(明治38年) | 『月刊 食道楽』第一巻第三号 | 現在確認されている中で、源内と土用丑のウナギを結びつけた最古級の文献とされます。しかし、「平賀源内のアイデアによる」と短く記されているに過ぎず、まだ具体的なストーリー描写はありません。 |
| 大正時代 | 1913年(大正2年) | 清水晴風 著 『神田の伝説』 | 私たちが現在知る「夏に困窮したウナギ屋から相談され、源内が看板のアイデアを出して繁盛させた」という具体的な逸話(ストーリー)が、明確な形で登場します。源内の死から実に133年後のことでした。 |
こうして見ると、この逸話が江戸時代の史実ではなく、明治・大正期に成立し、語り継がれる中で徐々にディテールが肉付けされ、洗練されていった「伝説」であると考えるのが、非常に自然かなと思います。
平賀源内以外の説。蜀山人や其角

実は、「土用の丑の日」のウナギの流行には、平賀源内以外にも「仕掛け人」とされる候補者がいるんです。平賀源内説があまりに有名なため影が薄くなりがちですが、当時は他の説も並行して語られていたようです。
特に有名なのが、以下の二人ですね。
1. 蜀山人(しょくさんじん)説
蜀山人(大田南畝)は、江戸時代後期の有名な狂歌師であり、マルチな才能を持った文人です。平賀源内とも交流があったとされます。
彼が懇意にしていたウナギ屋のために、「ウナギは滋養になる」といった内容の広告文(キャッチコピー)を書いたのが始まりだ、という説があります。源内さんと同じく、当時の文化人・インフルエンサー的な存在でした。
2. 其角(きかく)説
宝井其角(たからい きかく)は、松尾芭蕉のお弟子さん(蕉門十哲の一人)である高名な俳人です。
彼が詠んだ「土用丑鰻万病に宜し」という句(あるいは「蒲焼や江戸の浮名を一しきり」などの句)がきっかけで流行した、という説も存在します。大正2年の別の文献『山田屋辰五郎』では、この其角説も紹介されているそうです。
ただ、これらの説も平賀源内説と同様に、蜀山人や其角が生きていた江戸時代の確かな一次資料(本人の日記や書簡など)によって裏付けられているわけではないようです
結局のところ、江戸時代から「土用の丑の日にウナギを食べる」という風習が徐々に広まりつつあった背景に、「誰が火付け役か?」という“犯人探し”が後世になって始まり、様々な文化人候補が挙げられた。
その中で、エレキテルなどで最も知名度が高く、「万能のアイデアマン」としてのイメージが強かった平賀源内さんの説が、物語として一番キャッチーで面白く、現代にまで勝ち残った、ということなのかもしれませんね。
源内以前。うなぎはいつから食べた?

平賀源内さんの伝説が明治以降に作られたものだとして、じゃあ江戸時代やそれ以前の日本人は、夏にウナギを食べていなかったんでしょうか?
いえいえ、そんなことはありません。ウナギ自体は、日本の食文化として非常に古い歴史を持っています。
考古学的な証拠としては、なんと、縄文時代の遺跡「浦尻貝塚」(宮城県)など、各地の貝塚からウナギの骨が発見されているんです。太古の昔から、日本人はウナギを貴重なたんぱく源として捕って食べていた、大切な食料源だったんですね。
ただし、奈良時代や平安時代の調理法は、現代の醤油とみりんを使った甘辛い「蒲焼」とは異なりました。当時の文献などから推測されるのは、ウナギをぶつ切りにして串に刺し、山椒味噌などをつけて炙り焼きにする、もっと素朴な「炉端焼き」風のものだったようです。
現代につながる「蒲焼」のスタイルが確立されたのは、醤油やみりんが庶民に普及し始めた江戸時代中期以降とされています。
このことから、平賀源内さん(の伝説)の真の功績は、「夏にウナギを食べる」という食文化をゼロから発明したことではなく、万葉の時代から続く「夏バテにウナギ」という既存の文化的背景(健康認識)と、「土用の丑の日」という暦日(タイミング)とを鮮やかに結びつけ、具体的な消費行動(キャッチコピー)に転換する「物語」を提示した(と後世に語られた)点にある、と分析できます。
万葉集に記されたウナギと夏バテ
そして、「夏バテ対策にウナギ」という発想そのものは、平賀源内の伝説よりも遥か昔、なんと1200年以上前の奈良時代にすでに存在していました。
その最も古く、そして有名な証拠が、現存する日本最古の歌集『万葉集』(巻十六)に収められた、大伴家持(おおともの やかもち)が詠んだ二首の歌です。
石麻呂(いしまろ)に 我れ物申す 夏痩せに 良しといふものぞ 鰻(むなぎ)捕り 喫(め)せ
(現代語訳:石麻呂さんに申し上げます。夏痩せに大変良いというものですよ、ウナギ(当時は『むなぎ』)を捕って召し上がりなさい)
痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな
(現代語訳:痩せているとはいえ、生きてさえいれば良いものを。まさか、そのウナギを捕ろうとして川に流されなさるなよ)
(出典:国立国会図書館デジタルコレクション『万葉集 巻第十六』)
これらは、痩せていた友人・吉田連石麻呂(よしだのむらじ いしまろ)をからかって詠んだ「戯笑歌(ぎしょうか)」と呼ばれる、非常にユーモラスな歌です。
この冗談が当時の貴族社会で成立するということは、奈良時代の時点で「ウナギ=夏痩せ(夏バテ)に効く滋養強壮食」という認識が、すでに“常識”として共有されていた、という何よりの証拠ですよね。
平賀源内の伝説が生まれる遥か1000年も前から、日本人はウナギの力を経験的に知っていた。この事実は、私たちが思う以上に、ウナギと日本人の付き合いが深いことを物語っています。これは本当に興味深い歴史だと思います。
土用の丑の日と平賀源内の嘘、うなぎ以外の風習

平賀源内説が嘘だったとしても、ウナギ以外にも「土用」にはたくさんの大切な風習が残されています。
現代では「ウナギを食べる日」という側面が強すぎる「土用の丑の日」ですが、少し視点を変えて、神社や伝統的な食文化に残る、もう一つの「土用」の本来の姿、その意味を見ていきましょう。ここからが、実は本題かもしれません。
うなぎ以外の「う」の付く食べ物
ウナギの流行の背景にもなったとされるのが、「丑の日」に「う」の付く食べ物を食べると夏負けしない(夏バテしない)という、一種の言語遊戯(語呂合わせ)的な民間伝承です。
ウナギ(Unagi)ももちろんその一つですが、江戸時代から続く「う」の付く食べ物は、他にもたくさんありますよ。
「う」の付く夏の養生食
- 梅干し(Umeboshi)
「う」の代表格ですね。梅干しのクエン酸の酸味が唾液や胃酸の分泌を促し、暑さで落ちた食欲を増進させてくれます。殺菌作用も期待され、お弁当やおにぎりに欠かせませんでした。そうめんやうどんの薬味にも最適です。 - うどん(Udon)
熱い「煮込みうどん」ではなく、冷たい「冷やしうどん」ですね。消化が良く、ツルツルと喉越しも良いため、暑さで食欲がない時でも食べやすい、夏に適した食品とされていました。 - 瓜(Uri)
キュウリ、スイカ、メロン、冬瓜(とうがん)、苦瓜(ゴーヤ)など、ウリ科の野菜や果物全般を指します。これらは水分を非常に多く含み、カリウムも豊富なため、水分補給に優れ、火照った体を内側から冷やす食べ物として重宝されました。
ウナギはどうしても高価で、毎年食べるのは大変…という方もいらっしゃると思います。ですが、こうした食べ物なら手軽に取り入れられそうですね。
暑さでバテ気味の時は、さっぱりと梅干しとキュウリで和えたうどんをいただくのも、立派な「土用の丑の日」の過ごし方だと思います。
厄除けの土用餅という食文化

「丑の日」の「う」の字とは全く別の系譜で、「土用期間中」に食されるものとして「土用餅(どようもち)」という風習があります。これは主に西日本や北陸地方(特に金沢などが有名ですね)で見られる、あんころ餅のことです。
これは「う」の音とは一切関係がなく、より呪術的というか、信仰的な意味合いが強い食べ物なんですよ。
- 餅(もち):お餅は古来より、お米の力が凝縮された神聖な食べ物であり、「力(ちから)がつく」食べ物(力餅)とされます。
- 小豆(あんこ):そして、あんこに使われる小豆の「赤い色」。この赤色は、古くから太陽や炎の色として、魔除け・厄除けの力を持つと強く信じられてきました。
つまり土用餅は、単なる滋養強壮(スタミナ補給)と同時に、季節の変わり目に入り込もうとする邪気を祓い、「厄(やく)を祓う」「無病息災」を祈願するという目的で食べられてきたんです。
ウナギの「栄養を積極的に摂る」というアプローチとは対照的に、土用餅は「悪いものを寄せ付けない」という、防御的なアプローチ。二つの異なる食文化が「土用」という期間に共存しているのは、とても面白いですね。
神社仏閣の厄除け。きゅうり加持とは

「土用の丑の日」は、ウナギ屋さんだけでなく、神社仏閣にとっても大切な日です。特に真言宗などの寺院では「きゅうり加持(きゅうりふうじ)」または「きゅうり封じ」と呼ばれる、少しユニークなご祈祷が行われることがあります。
これは弘法大師(空海)が中国(唐)から伝えたとされる秘法で、まさに「病気や厄を封じ込める」という呪術です。
きゅうり加持(きゅうり封じ)の流れ
- 参拝者は、まずキュウリ(胡瓜)を1本受け取ります(あるいは持参します)。
- 自分の名前や年齢、そして治したい病名や悩み事などを書いた御札(紙)で、そのキュウリを丁寧に包みます。
- 住職(お坊さん)が、そのキュウリに祈祷(加持)を捧げます。このキュウリは、人間の「身代わり」と見なされます。
- 祈祷の後、そのキュウリを寺の境内(特定の場所)の土に埋めます。キュウリが時間をかけて土に還るとともに、そこに「封じ込められた」病気や悩み、厄も消え去る、とされています。
なぜキュウリが使われるのかというと、夏野菜の代表であり、土から養分と水分を大地から力強く吸い上げる力があるため、人間の厄や病も同じように吸い取ってくれる、と信じられたからのようです。
「きゅうり加持」は全ての寺院で常に行われているわけではありません。夏の土用の丑の日(あるいはその前後)に特別な行事として実施されることが多いですが、日程や作法、参加方法(予約が必要かなど)は各寺院によって異なります。
もし興味のある方は、「土用の丑の日 きゅうり加持 〇〇(お住まいの地域名)」などで検索し、事前にお近くの真言宗系のお寺などに確認してみてくださいね。
京都・下鴨神社の御手洗祭(足つけ神事)

そして、神社における「土用」の風習として、私が特に印象深く、また大好きな神事が、京都の賀茂御祖神社(通称:下鴨神社)で行われる「御手洗祭(みたらしさい)」です。これは一般に「足つけ神事」とも呼ばれていますね。
これは土用の丑の日前後の「土用期間中」の数日間にわたって斎行される神事で、夏の疫病や穢れを祓う、典型的な「禊(みそぎ)」の儀礼です。
この期間、境内にある「御手洗池(みたらしいけ)」は、土用の時期になると清水がこんこんと湧き出るとされます。参拝者はまず献灯料を納めてロウソクを受け取り、靴と靴下を脱いで、ズボンの裾をまくり上げます。
そして、膝下までこのキンキンに冷たい(本当に驚くほど冷たいです!)神池に足を浸しながら、ジャブジャブと進んでいきます。
受け取ったロウソクの火を灯して池の中を進み、奥にある御手洗社(井上社)の祭壇に献灯して、無病息災や厄除けを祈願するんです。この冷たい水に足を浸すことで、心身の「穢れ(けがれ)」が祓い清められるとされています。
「みたらし団子」の発祥の地
ちなみに、あの甘じょっぱいタレでおなじみの和菓子「みたらし団子」は、この下鴨神社の御手洗池から湧き出る水泡(気泡)をかたどったものが発祥とされています。土用とは、こんな日常の美味しい食文化にも深く繋がっているんですね。
ウナギで精をつける「動」の土用とは対照的に、冷たい聖なる水で身を清める「静」の土用。これもまた、蒸し暑い日本の夏を乗り切るための、非常に大切な日本の知恵だと感じます。
そもそも土用とは?本当の意味

ここまで色々な風習を見てきましたが、ウナギのイメージが強すぎて、「土用」=「夏」とだけ思っている方が非常に多いかなと思います。ですが、実は土用は年に4回あるんです。
「土用」とは、本来、立春・立夏・立秋・立冬という「四季の始まりの日」の直前の、それぞれ約18日間の期間を指します。つまり、「春土用」「夏土用」「秋土用」「冬土用」と、年に4回、季節の節目ごとに必ず訪れるんです。
陰陽五行思想と「土」の役割
なぜ「土」用という名前なのか? これは古代中国から伝わった「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」に基づいています。
この思想では、万物は「木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)」の5つの元素から成ると考えられました。これを四季に当てはめようとしたのですが…
- 木 = 春(草木が芽吹く)
- 火 = 夏(太陽が燃え盛る)
- 金 = 秋(金属のように堅い実り)
- 水 = 冬(水が凍る、静かな季節)
このように当てはめると、「土」が一つ余ってしまいます。
そこで、古代の人々は「土は全ての季節の変わり目に存在する」と考え、「土」の性質を各季節の終わりの約18日間に割り当てました。この「土」の気が最も高まる(土が旺(さかん)になる)期間のことを「土旺用事(どおうようじ)」と呼び、略して「土用」と呼んだのです。
土用の「禁忌」と「間日(まび)」
「土」の気が高まる土用期間中は、土を司る神様「土公神(どくしん)」が地上を支配するとされました。そのため、この期間は土を動かす作業(建築の基礎工事、地鎮祭、井戸掘り、農作業での土いじりなど)は「禁忌(タブー)」とされてきました。
しかし、約18日間も作業を休むのは現実的ではありません。そのため、土公神が土の中から出て天上へ行き、地上にはいないとされる「間日(まび)」という日が設けられました。この日だけは、土を動かしても差し支えないとされています。
つまり「土用」とは、本来「季節の変わり目でエネルギーが混沌とし、体調を崩しやすく、邪気が入りやすい要注意期間」という認識だったんですね。
だからこそ、(A) 邪気を祓う「防御的」な儀礼(御手洗祭や土用餅)と、(B) 栄養を摂る「積極的」な食養生(ウナギ)の両方が必要とされたわけです。
その中でも、万葉集の時代から日本人が悩み続けてきた「夏痩せ(夏バテ)」という切実な健康問題があった「夏の土用」だけが、ウナギという強力な食材、そして平賀源内という強力な物語と結びつき、突出して有名になったのです。
土用の丑の日、平賀源内と嘘の総括

さて、ここまで長々と「土用の丑の日、平賀源内と嘘」という説を、その背景と共に追いかけてきました。最後に、私なりの総括をしたいと思います。
平賀源内さんが江戸時代にウナギを流行らせた、という有名な逸話は、同時代の一次資料を欠き、彼の死後100年以上が経過した明治・大正期になってから文献に登場する「後世の伝説(嘘)」である可能性が限りなく高いです。
しかし、それは単なる間違いというより、源内さんが持つ「万能のアイデアマン」という強力なブランドイメージと、近代化する社会の「マーケティング」という新しい価値観が結びついた、史実以上に“真実味”のある、実に巧みな物語だったんだな、と思います。
私たちが今日「土用の丑の日」として親しんでいるこの風習は、単一の由来を持つのではなく、以下の三重の層(レイヤー)が重なり合って成立した、重層的な文化の結晶だと感じます。
「土用の丑の日」の三重構造(スリー・レイヤー)
- 【第1層:信仰の基層(古代~)】
「土用」とは、季節の変わり目であり、邪気が入りやすい「危険な期間」であるという根本的な認識。この「厄」や「穢れ」を祓うため、水(御手洗祭)や土(きゅうり加持)、あるいは小豆の魔除けの力(土用餅)を用いた、「防御的・呪術的」な神事・風習が基層に存在します。 - 【第2層:食の知恵(奈良時代~)】
「夏痩せ(夏バテ)にはウナギが効く」という、万葉集の時代から続く「滋養強壮」のための経験的な生活の知恵。これは第1層とは異なり、ネガティブなものを祓うのではなく、ポジティブなもの(栄養)を獲得しようとするアプローチです。 - 【第3層:商業的物語(明治・大正期~)】
平賀源内という江戸時代の文化的アイコンを用い、第1層の「土用の丑の日」というタイミングと、第2層の「ウナギ」という食材を鮮やかに結びつけた、強力な「商業的・文化的ナラティブ(物語)」。この物語の力によって、ウナギの習慣が他の全ての風習を凌駕するほどに広まりました。
「土用の丑の日と平賀源内の話が嘘」であったとしても、その背景には、ウナギを食べる奈良時代からの知恵も、冷たい水で身を清める神社の風習も、全てが「一年で最も過酷な“土用”という季節を無事に乗り切りたい」という、時代を超えた日本人の切実な願いとして、確かに繋がっているんですね。
2025年の土用の丑の日、ウナギを召し上がる方も、土用餅や「う」の付くもので養生される方も、ぜひそんな深い歴史に思いを馳せながら、健やかに夏を乗り切っていただけたらと思います。